なんのために生まれてきた?
わたしはなんのために生まれてきたのだろう?
きっと誰もが一度は考える、生きていく上での重要なテーマですよね。
答えは無いです。
無いんですよ、答えなんて。
でも逆に言うと、無限にあります。
どういうことかというと、その人が生きていく上で何をすべきかの正しい答えなんて無いし、だからこそこれだと思う自分なりの答えは無限にあるということです。
誰しも自由であるべきなんです。
それはどんな境遇に生まれてもです。
(今回は皇族や歌舞伎界などの話はしません。いつか触れるかもしれませんが…)
でも自分軸が弱く周りの影響を受けやすいHSPは、自分がどうしたらいいのかを他人軸で考えてしまいます。
それはHSPの特徴のひとつに、他人との境界線の薄さがあるからです。
HSPには、他人の嬉しいとか悲しいといった感情に共鳴する「共感性」があります。
一方で、他人の感情が勝手に自分の中に入り込んできてしまう「過剰同調性」というものもあります。(ブロック機能がほしいですね)
それによって、自己を犠牲にしてでも他人の願望に同一化しようとしたり、その場の空気を読んでトラブルにならないようにしたり、他人の顔色や状況を見てその人の気持ちを損ねてしまわないよう振る舞います。
HSPはこれを無意識のうちにしてしまっているのです。
本心ではやりたくないけど、自分さえ我慢すれば周囲は喜ぶし状況も丸く収まるよね。
そうやって本当の自分を押し殺し、他人軸で生きる癖が染みついている人がHSPには多いように感じます。
これ、まさにわたしです。
わたしの母は日本舞踊の教室をしていました。
わたしはそこに生まれた一人娘。
当然のように、わたしも四歳から踊らされていました。
やりたいかやりたくないか、訊かれた記憶は一度もないです。
母の中では、わたしが踊らないという選択肢などあるはずもなく、あるのは踊る一択のみ!
そうやって、なかば強制的に日本舞踊をさせられてきました。
そんなわたしは、人前に出るのが大の苦手。
やりたくない…けど、そんなこと言えない。
というか、母の立場を考えたらわたしが踊らないことで母を傷つけたり悩ませたりして苦しめることになる。
幼心にそんなことを考えていました。
操り人形ってありますよね。
まさにあれです。
操り人形は操り人の思うがまま、自分の意思と関係なくただ踊らされるだけ。
わたしは母が操る糸のとおりに踊るしかなかったのです。
なんのために生まれてきた?
そう、わたしは母の跡継ぎとして生まれてきたわけです。
でもそれはあくまでも母目線の話。
わたしはわたしとして生まれただけで、そこになんの条件もないのです。
こうしなければいけない、ああしなければいけないというのは固定観念であって、
じつはどんな選択をしても良いんですよね。
だって誰の人生でもない、自分のものなのだから。
自分の人生、自分以外の誰かが責任を取ってなんかくれません。
やりたくないことは「やりたくない」と言っていいんです。
自分を大事にすること、自分を守ってあげることに罪悪感を抱く必要はないんです。
なんのために生まれてきた?
そこでわたしなりに出した答えは、強いて言えば【自分で自分を幸せにしてあげるため】じゃないでしょうか。
自分で自分を、というのがポイントです。
誰かに幸せにしてもらおうという考えでは、その誰かに裏切られたときのダメージが大きすぎます。
他人に依存するのではなく、自分ひとりでも幸せになれる方法を見つけること。
どういうことをしているとき、自分は満たされた気分になれるのか。
これを見つけてみてほしいのです。
それをなんとなく探しながら、いろんな人と出会ったりいろんな場所に行ったり、いろんな経験をして生きていくのが、本当に豊かな人生なのかなと思います。
あなたが自分で自分を幸せにしてあげられる方法はなんですか?