生きづらさをラクにする鍵
始めはうまくいくのに、いつも同じようなところでつまづいてしまう。
自分が何をしたいのかわからない。
自分のことも他人のことも受け入れられない。
とにかく人生がままならない。
HSPや毒親のもとで育った人がそんな生きづらさをラクにしたいと思ったとき、まず始めに何をすれば良いかというお話をしたいと思います。
これまで他人軸で生きてきた人が、急に「自分軸でポジティブに生きるぞ!」と意気込んでも、どうやって? と戸惑ったり、思うようにいかず自己嫌悪に陥ったりするのはよくあることです。
あなたはどうしたいの?
誰かにそう訊かれたとき、「わからない!」と混乱した経験はありませんか?
そのわからない原因は、自己受容ができていないことにあるかもしれません。
自己受容というのは、どんな自分でもありのまま受け入れるということです。
HSPや毒親育ちの人は、いろんな場面で自分の欲求や感情を抑え込んできた人が多いのではないでしょうか。(わたしもそのひとりです)
抑え込んだ感情はどうなるかというと、心の中のプールにどんどん溜まっていきます。すぐに泣いてしまう人やすぐに怒ってしまう人は、感情のプールが満タンで溢れやすい状態になっている人と言えます。
自分はどうしたいのかという感情(自己肯定)はそのプールの底のほうに沈んでいるので、それを引き上げるには、まず上のほうに溜まった感情を減らしてあげる必要があるんです。
じゃあその溜まった感情はどうやって減らすの? というと、その感情に気づいてただ認めてあげるだけでいいんです。
これが自己受容です。
心理学で言う、インナーチャイルドの癒しという作業ですね。
インナーチャイルドというのは、過去の体験で傷つき満たされないままの幼い意識のことを言います。(幼い意識と言われていますが、わたしは過去の自分なら数分前に傷ついた自分もインナーチャイルドとみなして良いと考えています)
具体的にどうすればいいかというと、とことんインナーチャイルドの声に耳を傾けてあげるんです。
そして、辛かった、悲しかった、寂しかった、こうしたかった、ああしたかったというインナーチャイルドの声をただ聞いて受け入れてあげる。
このとき大事なのは、ジャッジしないということです。
「なにをいまさら」とか「いい大人がみっともない」とジャッジせず、辛かったね、悲しかったね、寂しかったね、こうしたかったんだね、ああしたかったんだね、と過去の自分が我慢した感情を否定せずにただ認めてあげます。
わたしの話をすると、幼い頃に母が泊まりの仕事でいない夜、父が寝かしつけのときに絵本を一冊読んでくれました。
わたしは母がいない不安から眠気も感じられず、もう一冊だけ絵本を読んでほしいなぁと思いました。
でも父の疲れた顔を見たらそれが言い出せず、そのうち「もういいだろ、寝なさい」と言い父は自室へ行ってしまったのです。
わたしは部屋でひとり、寂しい感情を我慢してどうにか寝ようとがんばりました。あの夜の暗さは今でも忘れられません。
その満たされなかった感情に、まず自分で気づいてあげる。
そして、寂しかったね、もう一冊絵本を読んでほしかったんだね、と自分で自分に共感してあげる。
これだけで良いんです。
これが自己受容、インナーチャイルドの癒しの簡単な方法です。
すでに出版されているインナーチャイルドについての本を参考に、ワークをしてみるのも良いと思います。
自分だけではうまくできないという人は、専門機関へ行くのもひとつの選択ですね。
インナーチャイルドを癒すのに、もう遅いということはありません。
いつでも大丈夫です。
むしろインナーチャイルドは、気づいてもらえるときを待っています。
感情は抑え込むとストレスになります。
ストレスにしないためには、抑え込まずにその都度しっかり感じきることが大事です。
いま自分はイライラしているな、辛いな、悲しいな、という感情をありのままジャッジせずにしっかり味わうことで、感情のプールに溜め込むことなくストレスに変わる前に発散できるのです。
そうやって常に自己受容ができるようになると、心の葛藤が減り生きづらさがラクになっていくのです。
まず自分のことを受け入れられなければ、他人のことを受け入れるのは難しいでしょう。
いま、あなたの心に溜め込んでいる感情はありませんか?
その感情に気づいて、ただ認めてあげてください。
毒親認定されるただひとつの条件とは
子どもに害をおよぼす親のことを毒親と言いますが、ロンドン大学の研究で毒親が毒親であるただひとつの条件が明らかになりました。
それは…
『子どもに対しての心理コントロール傾向が高いかどうか』です。
どういうことかというと、恥や罪悪感といったネガティブな感情で子どもを支配したり、都合よく動かそうとする親が毒親と認定されるのだとか。
たとえば、わざと人前で子どもを叱ったり、子どもがコンプレックスに思っているようなことを「うちの子は○○なんですよ」と言って恥をかかせたり、成績が落ちると「学費を払ってやってるんだからしっかり勉強しろ」と言ったり。
例に漏れず、わたしも小さい頃から似たようなことを言われてきました。
わたしは母が忙しいときによく伯母から面倒をみてもらっていたのですが、この伯母が母より強烈な毒を持っていまして、褒めて伸ばすの真逆をいく人でした。
子どもは褒めたらつけあがり調子に乗ってダメになると思っているふしがあり、とくに人前でそれが全面に出てしまうのです。
「この子は内気で意気地なしでのろまで…」と人前でわたしを下げる下げる。
言われて悔しいなら頑張れ!という教育方針だったのでしょうね。
その場にいるわたしは、自分は何をしてもダメなんだとへこむやら恥ずかしいやらで、いたたまれなかったのを覚えています。
「あんたにはあれほどお金をかけたのに」と母から言われたのも最近の話です。
こういった発言は子どものメンタルにネガティブな影響を与え、歪みが生じてしまいます。
毒親から心理コントロールを受けた子どもはどこに問題が出るかというと、愛着スタイルです。
“HSPの恋愛と愛着障害”という記事でも書きましたが、愛着スタイルに問題があると人間関係や恋愛に大きな悪影響が出てしまいます。
人とのコミュニケーションや距離感がうまくとれず、トラブルになったり生きづらさを抱えたりしてしまうのです。
それでも希望があるのは、ロンドン大学の研究結果によりわかったこととして、子どもが受ける親からの影響は10%に満たないということ。
性格を決めるのは遺伝子が最大で50%、友達の影響が40%ほどなのだそうです。
どんなに親から害を受けたとしても、良い友達に出会うことができればそちらの影響のほうが大きいということです。
愛着スタイルに問題が生じてしまっている時点で、他者と良好な関係を結ぶことは簡単ではないと思います。
それでもネガティブに歪んでしまった自分を受け入れ、良い影響を受けたり与えたりできる友達をつくり、周りの環境を変えていくことができたら、自分も変われるのかもしれませんね。
うちもアスペルガー母?
最近こんな本を読みました。
司馬理英子さんという方が書かれた【「母がストレス!」と思ったら読む本「アスペルガー母」への対処法】です。
わたしはこの本を読んで衝撃を受けると同時に、いろんなことが腑に落ちました。
母はなんでこんなことを言うのだろう?
母はなんでこんなことをするのだろう?
なんだか、どこか、ほかのお母さんと違う気がする。
その原因が、発達障害からくるものだとしたら…
思ってもみない発想でした。
自分の母親が発達障害という事実は、受け入れがたいことかもしれません。
でもそんな新しい視点で母との関係を見たとき、対処法や解決策が見いだせるのだとしたら、マイナス面よりむしろプラス面のほうが大きいですよね。
アスペルガー母の特徴はいくつかあるようですが、わたしの母の気になる点は会話です。
多くの人は相手の表情や反応を見て気持ちを察しながら会話をしますが、わたしの母はそんなことおかまいなしに自分が言いたいことを言ってしまうんです。
アスペルガー脳の特徴に“相互応答性”(相手の反応や気持ちの変化を察知して臨機応変に対応すること)の乏しさがあるようです。
そのせいか、相手が不快になったり傷ついたりするようなことも躊躇なく言えてしまう。
そしてそれを言われた相手の気持ちを推し量ることができないから、言った本人はなんの悪気も無くけろっとしているんです。
たとえばふくよかな人に太ってるねと言ったり、口に合わない料理を作り手の前で美味しくないと言ったり。
本人はただ事実や感じたことを素直に言っただけなのに暴言や失言になってしまう。
そんなことが日常茶飯事。
母から言われたことが悔しくてもぐっと我慢をする人や、それは違うと反論する人。
母の自己中心的な発言から、日舞の教室に通うお弟子さんと口論になっている現場をわたしは小さい頃からよく見てきました。
他人に対してもそうなのだから、ひとり娘であるわたしはその被害をまともに受けてきたわけです。
しかもわたしはHSP気質。
人一倍敏感で繊細な心が、無邪気でストレートな母の発言によりずたずたにされながら育つというハードな環境にいたんですね。
わたしが小学生の頃、母が日舞の仕事で一週間ほど家を空けることが度々ありました。
わたしは学校から帰ると友達と遊びにも行かず、母のかわりに夕飯を作ったり掃除をしたりして家事をこなしました。
寂しいけど、母も頑張っているから力になろう!
そんな思いで過ごした一週間。
ようやく帰ってきてくれたことが嬉しくて(小さい頃は母が大好きでした!)そばにまとわりつくわたしに母が放った言葉は、
「あーもうっ、帰ってくるんじゃなかった!」
わたしは耳を疑いました…
悲しくて、胸がぎゅうっと苦しくて、今でも言われたときの蛍光灯の明るさや母の表情がありありと思い出せてしまうくらいショックでした。
理由はたしか、キッチンが片付いていなかったとかそんなことだと記憶しています。
一週間、家事と育児から開放され、また現実に引き戻された落差などもあったかもしれません。
でも母は、そのときそう思ったから言っただけなんですよね。
そこにはなんの悪意もない。
もちろん、わたしがすぐ横で傷ついていることも理解していません。
(そのあとさらにグチグチと続けていたので…)
母からの言葉で傷ついた経験はこれだけではないです。
もっともっとあります。
今までは、こういった母の発言が理解できなかったし許せなかった。
でもそれがアスペルガーの脳のクセによるものだったと考えたら、母に対して抱えていた怒りや悲しみがふっと軽くなるのを感じました。
母がアスペルガーだと診断されたわけではないから、ひとつの可能性にしか過ぎません。
それでも、違う視点でものごとを見るきっかけにはなるし、なによりそれでわたしの心が軽くなるなら良い気づきだったのかなと思います。
深く考えず無邪気に発言をするアスペルガー母と、非HSPの人なら聞き流せることも敏感に反応したり深く考えてしまうHSPの子。
なかなか難しい組み合わせですね。
あなたのお母さんはどうですか?
HSPの恋愛と愛着障害
わたし、やっとわかったことがあります。
人間関係(とくに恋愛)で、なぜいつも同じようなパターンを繰り返してしまうのか。
初めての恋愛からウン十年以上経って、やっとわかったその原因は愛着障害にありました。
愛着障害ってなに?
と思った人へ簡単に説明すると、まず愛着というのは子どもの頃に親(養育者)との間で結ばれる信頼の絆みたいなものですね。
具体的には、泣いたらあやしてくれる、お腹がすいたらミルクを飲ませてもらえるなどの行為を通じて、親から「自分は愛されている」「自分はここにいていい存在」という安心安全な温かい感覚を得ることを言います。
この世界でどんなことが起きても、自分は親に守られているから大丈夫!
そんなふうに、親が心のよりどころとなり自分の安全基地であると思えるのが、理想的な愛着形成のモデルなんですね。
これが何らかの理由でうまく形成できなかった場合、愛着障害となり、感情をコントロールできなかったり、人間関係でトラブルを起こしてしまったりするんです。
で、HSPは当然HSC(人一倍敏感な子)だったわけです。
HSCは胎内にいるときから母親のストレスや不快感を察知して影響を受けてしまうほど敏感。
結果として、乳幼児期は不安からすぐに泣いてしまったり、ぐずりやすかったりして、親からしたら育てにくい子、手のかかる子に見えてしまうんですね。
わたしも赤ちゃんの頃よく夜泣きをしたらしいです。
母いわく、父親はそんなわたしを見て不機嫌になり車で寝たこともあったとか。(睡眠不足は仕事にひびくからね、仕方ないよね。うん、でもちょっと冷たくない?)
日中はぐずる、夜は泣いて寝ない。
これは、母、相当大変。
疲れから、タイミングよく対応できないときもあったでしょう。
だけどHSCはその敏感さから、自分が欲するタイミングで適切な対応をしてもらえなかったり、内心疎ましく思われているのを察知したりして深く傷つき、親子の絆がうまく結べなかったりするんですよね、きっと。
それなので、HSCは非HSCよりも愛着形成が難しい傾向にあるんです。
愛着形成がうまくいかず愛着障害になってしまった場合、その後の人間関係や恋愛に良くない影響が出てしまいます。
愛着障害は人と距離を置くタイプの回避型と、人との関わりには積極的だけど見捨てられるかもという気持ちが強い不安型があります。
とくに人間関係でトラブルを起こしやすく、恋愛がうまくいかないのは不安型です。(はい、わたしです)
不安型の根底にある「見捨てられ不安」は本当にやっかい。
自分に自信がないせいで相手から嫌われるのを極端に恐れたり、相手の評価が気になって言動に振り回されたり、過度に依存したりしてしまうんですね。
「わたしはいつか見捨てられるかもしれない」
そんな強い不安感がいつも心にあることで、一見うまくいっていて相手からも穏やかな愛情をもらっているにもかかわらず、相手を試したり、自分から良好な関係を壊すような行動を取ってしまいます。
これを限界吟味といいます。
この人は、どんなわたしでも愛してくれる?
この人は、どこまでわたしを許せるのかな?
この人は、本当にわたしを見捨てないでいてくれる?
振り返ればわたしも、それを試すような行為をパートナーにしてきました。
しかも無意識のうちに!
そうなんです。自分じゃ相手を試しているつもりはなく、ただそのときそのときの自分の気持ちに素直に行動しただけ。
でも結局それで相手を傷つけ、その罪悪感から結果的に自分も傷つくという悪循環を繰り返してきました。
その背景に愛着障害があるなんてことは知らずに…
幼少期、この限界吟味をわたしは父親にやっていたことを思い出しました。(本当にいま、書いていて思い出した)
いつもより少しでも不機嫌な父を見ると不安になり、わざと怒らせるような言動をするんです。
それは父がしっかり苛立ってわたしを怒るまでやるんです。
そして我慢の限界がきた父は語り合うことも向き合うこともせず、苛立ちにまかせ、わたしを力づくで外へ引きずり出しドアを閉めました。
外に放り出されたわたしは、気が済むまでひとしきり泣きます。
自分でもなぜそんなことをするのかわからない。
でもやってしまう。
本当に苦しいやりとり。
あれは愛着障害からくる限界吟味だったんだな、とようやく気づきました。
父の愛情を試していたんですね。
でも毎回、思うような愛を感じられなかった。
それをずっと引きずったまま大人になり、今度はパートナーに同じことをしてしまっていたのです。
でも、そんなお互いに苦しいやりとりはもうするべきじゃない。
もう繰り返さない。
自分が愛着障害だと知ったから。
原因がわかれば対処法も見えてきます。
すぐには改善されないかもしれない。
でも良くなる道しるべは見つけることができた。
もうこれ以上、相手も自分も傷つかなくて済むように。
自分と向き合い、自分を知ることの大切さをいま改めて噛みしめています。
なんのために生まれてきた?
わたしはなんのために生まれてきたのだろう?
きっと誰もが一度は考える、生きていく上での重要なテーマですよね。
答えは無いです。
無いんですよ、答えなんて。
でも逆に言うと、無限にあります。
どういうことかというと、その人が生きていく上で何をすべきかの正しい答えなんて無いし、だからこそこれだと思う自分なりの答えは無限にあるということです。
誰しも自由であるべきなんです。
それはどんな境遇に生まれてもです。
(今回は皇族や歌舞伎界などの話はしません。いつか触れるかもしれませんが…)
でも自分軸が弱く周りの影響を受けやすいHSPは、自分がどうしたらいいのかを他人軸で考えてしまいます。
それはHSPの特徴のひとつに、他人との境界線の薄さがあるからです。
HSPには、他人の嬉しいとか悲しいといった感情に共鳴する「共感性」があります。
一方で、他人の感情が勝手に自分の中に入り込んできてしまう「過剰同調性」というものもあります。(ブロック機能がほしいですね)
それによって、自己を犠牲にしてでも他人の願望に同一化しようとしたり、その場の空気を読んでトラブルにならないようにしたり、他人の顔色や状況を見てその人の気持ちを損ねてしまわないよう振る舞います。
HSPはこれを無意識のうちにしてしまっているのです。
本心ではやりたくないけど、自分さえ我慢すれば周囲は喜ぶし状況も丸く収まるよね。
そうやって本当の自分を押し殺し、他人軸で生きる癖が染みついている人がHSPには多いように感じます。
これ、まさにわたしです。
わたしの母は日本舞踊の教室をしていました。
わたしはそこに生まれた一人娘。
当然のように、わたしも四歳から踊らされていました。
やりたいかやりたくないか、訊かれた記憶は一度もないです。
母の中では、わたしが踊らないという選択肢などあるはずもなく、あるのは踊る一択のみ!
そうやって、なかば強制的に日本舞踊をさせられてきました。
そんなわたしは、人前に出るのが大の苦手。
やりたくない…けど、そんなこと言えない。
というか、母の立場を考えたらわたしが踊らないことで母を傷つけたり悩ませたりして苦しめることになる。
幼心にそんなことを考えていました。
操り人形ってありますよね。
まさにあれです。
操り人形は操り人の思うがまま、自分の意思と関係なくただ踊らされるだけ。
わたしは母が操る糸のとおりに踊るしかなかったのです。
なんのために生まれてきた?
そう、わたしは母の跡継ぎとして生まれてきたわけです。
でもそれはあくまでも母目線の話。
わたしはわたしとして生まれただけで、そこになんの条件もないのです。
こうしなければいけない、ああしなければいけないというのは固定観念であって、
じつはどんな選択をしても良いんですよね。
だって誰の人生でもない、自分のものなのだから。
自分の人生、自分以外の誰かが責任を取ってなんかくれません。
やりたくないことは「やりたくない」と言っていいんです。
自分を大事にすること、自分を守ってあげることに罪悪感を抱く必要はないんです。
なんのために生まれてきた?
そこでわたしなりに出した答えは、強いて言えば【自分で自分を幸せにしてあげるため】じゃないでしょうか。
自分で自分を、というのがポイントです。
誰かに幸せにしてもらおうという考えでは、その誰かに裏切られたときのダメージが大きすぎます。
他人に依存するのではなく、自分ひとりでも幸せになれる方法を見つけること。
どういうことをしているとき、自分は満たされた気分になれるのか。
これを見つけてみてほしいのです。
それをなんとなく探しながら、いろんな人と出会ったりいろんな場所に行ったり、いろんな経験をして生きていくのが、本当に豊かな人生なのかなと思います。
あなたが自分で自分を幸せにしてあげられる方法はなんですか?
わたしは敏感すぎる人(HSP気質)
皆さま、こんにちは。
ブログを読んでくださって、ありがとうございます!
このブログでは、敏感すぎる人といわれるHSP(Highly Sensitive Person ハイリー・センシティブ・パーソン)の気質をもつわたしと、いわゆる毒親と呼ばれる鈍感で自己中心的な母親との関係を書いていきたいと思います。
この時点で両者真逆というか、一筋縄ではいかない雰囲気がしていますね笑
そうなんです。
わたしたち親子、ずっと一筋縄ではいかない関係でした。
まずHSPというのは、アメリカの心理学者エレイン・N・アーロン博士が自著『The Highly Sensitive Person 』のなかで1996年に考案した概念で、5人に1人の割合で存在する気質のようです。
それまでは内気や恥ずかしがり屋や引っ込み思案とされていた気質を、アーロン博士はそのバックにある「感覚処理過敏性」に目を向けて概念化しました。
HSPの人は大きく分けて次の4つの特徴があります。
1.物ごとを深く処理する
2.過剰に刺激を受けてしまう
3.感情的な反応が強く、共感性が高い
4.些細な刺激に対する感受性が高い
簡単に言うと「生まれつき、すっごく感度の高い人」ですね。(ざっくりすぎ)
その感度の高さゆえ、さまざまな刺激で疲れてしまい生きづらさを抱えているのです。
冒頭でも言いましたがHSPは気質であり、病気や障害ではありません。
人にはそれぞれ個性があります。
HSPの人はそういう気質の個性を持って生まれてきたということです。
人より感度が高いということは、見方を変えれば人よりいろんなことを感じ取る能力にすぐれているともとれます。
HSP気質は先天的なもので変えることはできません。
でも、自分や人に対する歪んでしまった思い込みや思考の癖、環境や行動は変えることができます。
それには自分を見つめ直すことが大事です。
今の自分はもちろん、さらにさかのぼって過去の自分(インナーチャイルドといわれる幼い頃の自分)とも向き合う必要があるかもしれません。
それは時にとても辛い作業です。
わたしも過去のできごとをノートに書き出すうちに、抑え込んでいた感情が溢れ出してわんわん泣きました。
泣くことを我慢していた幼い自分と一緒に、たくさんたくさん泣きました。
「辛かったよね。寂しかったよね」
あのときかけて欲しかった言葉を、自分で自分にかけてあげました。
そうやって過去からいま現在までの自分を知り、育ってきた環境や傷ついた自分の感情を見つめ直し、ありのままの自分をまるごと愛してあげるんです。
自分はありのままで愛されるべき存在なんだ。
そんなふうに自分を全力で肯定できたら、少しだけ心が軽くなれる気がします。
わたしもまだ学びの途中です。
このブログを通じて、同じ悩みを抱えている人たちと共に自分軸でラクに生きていける方法をシェアしていけたらと思います。
そして自分の闇を光に変え、その光で1人でも多くの悩める人を照らすことができたら嬉しいです。